「吉野秀雄とはつ子 第十三回―慶應義塾理財科二年・はつ子との交際許可が下りるまで・その三―」
砂丘短歌会
株式会社 第一印刷所
「砂丘」2017・夏号(総頁数34)
吉野秀雄は、大正13年3月4日に肺尖カタルを発症し、以後長い闘病生活が始まるのだが、その3年前の大正6月8日にも、胸の不安を訴えて、病院を受診していることがわかった。大正13年に発症した頃には、短歌よりもむしろ詩を多く制作し、多くの未発表の作品が吉野文庫に残されていることも今回の調査で判明した。