「吉野秀雄とはつ子 第十四回―慶應義塾理財科二年・はつ子との交際許可その前後―」
砂丘短歌会
株式会社 第一印刷所
「砂丘」2017・秋号(総ページ数46)
神奈川近代文学館「吉野秀雄文庫」収蔵大正10年6月8日の日記により、歌人吉野秀雄の肺結核疑惑は解消されたことがわかったものの、新たなる親子間の問題が発生したことが判明。それは後に婚約者となる栗林はつ子の実家に関する問題なのだが、はつ子がその件のことで自分の両親を強く説得していたことも判明。この問題を二人で乗り越えた努力が、いづれ「短歌百餘章」へと結実されていく。10月から再開された日記から、吉野秀雄が文学者としてさらなる高みを目指すことの懊悩が始まっていたことも今回の調査で判明した。