歌人吉野秀雄にとって、慶應義塾理財科二年に進学した大正10(1921)年は、はつ子との将来が約束された年というばかりでなく、親友須賀幸造始め多くの友人達と共に、校内誌へ歌・詩・文章等を発表するなど盛んに文学活動を開始した年でもあった。また、この頃の吉野秀雄は、村山槐多、中原悌二郎、中川一政、中村彝、岸田劉生といった日本の西洋画家からの影響、ヨーロッパ未来派からの影響、石川啄木からの影響、その他演劇、映画、クラシック音楽、哲学、宗教などさまざまな分野からの影響を受けて、若き吉野秀雄の芸術観が醸成されていったことが、神奈川近代文学館特別資料、吉野文庫収蔵「『大正拾年拾月よ里(り) 大正拾年拾二月まで』『日記』T.2 №2」から判明した。