神奈川近代文学館吉野秀雄文庫特別資料の中に、大正11年(1922)3月17日から31日まで、吉野秀雄の春休みの出来事が書かれた『NOTE BOOK 漫録 秀雄』と題された未公開の日記がある。慶應義塾理財科予科2年を終え、4月から慶應義塾大学経済学部へと進学することが決まっていた吉野秀雄が、後の短歌活動へと繋がる土壌となった多くの文学作品と出会っていたことがこの日記よりわかる。主な作品としては、寒川鼠骨『其角研究』斎藤茂吉『あらたま』長塚節『土』そして古泉千樫『竹里歌話』である。特に重要なのが『竹里歌話』に吉野秀雄が深く感銘を受けたことで、日記の中では三日間にわたり正岡子規の偉業を讃えている。従来の説では、吉野秀雄が正岡子規に感銘を受けたのは、翌年の大正12年(1923)12月に根岸の子規案を訪れ妹律の話を聞き、子規の遺墨を読んだことから(『年譜』より)とのことであったが、この日記の存在から、もっと早期に正岡子規との出会いがあったことが判明した。