吉野秀雄は、大正11年(1922)四月より慶応義塾大学経済学部へ進学するが、一方はつ子の方も、同年四月より日本女子商業学校へ入学している。神奈川近代文学館「吉野秀雄文庫」には、吉野秀雄の当時の日記(未公開)が残されていて、二人だけで一緒に上京したことや、はつ子が寄宿舎に入るまでの間、はつ子の下宿を吉野秀雄が世話したこと等が書かれている。また、大学に進学した吉野秀雄が、『万葉集選』『左千夫集』『古寺巡礼』『透谷全集』『奥の細道』『新俳句撰唱』『ホイットマン自選日記』等を購入し、特に北村透谷の文章や詩に影響を受けていたことや、図書館で借りた『金槐和歌集』から十首を日記に書き写しているものの、万葉調の歌風であった源実朝の歌に対してはむしろ批判的であった事実が判明した。