1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって、吉野秀雄の父が苦労して開いた吉野藤東京支店は全焼してしまう。当時富岡に帰省していた吉野秀雄は、翌朝早く上京し野宿しながら情報収集に当たるのだが、この時の無理がたたり、翌1924年(大正13年)3月に喀血し、慶應義塾大学の中退を余儀なくさせられてしまう。これ以後生涯にわたる闘病生活が始まるわけだが、そのきっかけとなった関東大震災当時の彼とはつ子の様子を、神奈川近代文学館『吉野秀雄文庫』収蔵資料で、はつ子宛に書かれた三通の書簡(内2通は未公開資料)より浮き彫りにした。