歌人吉野秀雄は、小林秀雄・青山二郎・石原龍一の3人により刊行された『創元』創刊号に掲載された「短歌百餘章」によって、一躍世間から注目を集めるようになった。「短歌百餘章」は、その後歌集『寒蟬集』に採録され、妻はつ子との死別を詠んだ一連の「妻を哭する歌」は、多くの読者から大きな反響を呼ぶこととなった。しかし、吉野秀雄とはつ子との関係は、長い間ほとんどよくわかっていなかった。その後、遺族から寄贈された神奈川近代文学館の特別資料吉野秀雄文庫の中に、吉野秀雄がはつ子に送った多くの書簡や当時の日記があることがわかった。本論では、吉野秀雄とはつ子の関係を、未発表の多くの手紙や日記を通して明らかにし、歌集『寒蟬集』に込められた二人の思いや背景について分析し論考した。