「吉野秀雄とはつ子 第十一回―慶應義塾理財科二年・はつ子との交際許可が下りるまで・その一―」
砂丘短歌会
株式会社 第一印刷所
「砂丘」2017・冬号(総頁数42)
大正10年の上半期に書かれたと推定される「備忘録」の発見により、吉野秀雄とはつ子の結婚問題は両家を巻き込んで大騒動まで発展していたことがわかった。当時慶應義塾理財科二年の学生であった吉野秀雄が、四月からはつ子との交際許可が下りる九月まで、どのような生活を送っていたかについて述べたもの。特に若き吉野秀雄が、早逝した画家村山槐多から大きな影響を受けていたことは、今回の調査で初めてわかったことである。