「吉野秀雄とはつ子 第十二回―慶應義塾理財科二年・はつ子との交際許可が下りるまで・その二―」
砂丘短歌会
株式会社 第一印刷所
「砂丘」2017・春号(総頁数36)
大正10年9月に、念願叶いやっと両家の認める仲になることができた吉野秀雄とはつ子であったが、そこまでに至る過程を、吉野秀雄の日記とはつ子宛書簡を通して描いたもの。4月に吉野秀夫の母が丹毒で入院したり、5月9日にははつ子から突然婚約解消を迫られたりと、いつまで経っても心が休まらない吉野秀雄の姿が想像される。