日本統治期台湾の教育機関が実施した修学旅行について、民族属性や多様な参観地選択などに注目して検討した。総督府国語学校に導入された修学旅行には統治者/日本人と被統治者/台湾人という図式が顕著に表れた。1920年代には中等教育機関の中に南支旅行を実施する学校があらわれ、修学旅行における内地と台湾の関係性は相対化された。1920年代以降、内地修学旅行を再認識する動きが見られたが、これには、内地が修学旅行の絶対的な選択肢ではもはやないという側面と、内地旅行を植民地統治という文脈において復権しようとする側面があった。