日本ヘーゲル学会第22回研究大会(2015年12月19日中央大学後楽園校舎)シンポジウム「ヘーゲルにおける戦争と平和」において発表した内容を論文化したもの。
ヘーゲルにおいて〈戦争〉を議論するときの中心的な論点は、標題のテーゼをいかに理解するかに尽きる。ただし、「現実の戦争」には〈哲学〉的議論とは「別の弁護」が必要である。主権である君主はその上位を戴かない点に、国家実体相互の闘争を決着させる仕方の特色がある。国家の自主独立は、つねに他の国家との闘争場裡に置かれ、ここで実体としての流動的なあり方を確保せざるをえない。ヘーゲルが〈戦争〉を放棄できないのは、自由を確保するために常在戦場の意識を持たざるをえないからである。他方で、ヘーゲルにおける〈戦争〉は、国際的な〈習俗〉形成と深くかかわる。〈戦争〉のリアルな発動を回避しあう道筋は、〈戦争〉の正当化論理がつねに特殊態であって、「普遍的な摂理」ではないことを自覚することである。