中国各地から陸続と出土する簡牘・帛書をもとに、書体の変遷を推し量ることが可能になってきた。本論考では、まず書体の概念と草書の定義を述べ、草率な隷書、すなわち草隷がいつ頃発生したのか、出土資料からその実相を考察したものである。考察に使用した出土資料は、湖北省雲夢県睡虎地4号墓で出土した戦国晩期の木牘である。そこに記された文字には、筆画をかなり省略したものが散見された。つまり、戦国晩期にはすでに草隷が生まれていたことを物語っている。また、そうした書きぶりが、後の里耶秦簡や謝家橋前漢簡の草率な隷書(草隷)へとつながっていくことを指摘した。