pp.51-62
本稿では、東京・日本橋の花街、芳町の歴史を概観し、そこに住む三味線店主や理髪店主の話等をもとに、芳町と職人の関係、および町の推移について考察した。その結果、江戸時代に吉原遊郭があり、それが移転した後も芝居小屋が近くにあった芳町は、芸妓が多数居住する場所となり、明治、大正時代には花街として活況を極め、それが昭和30年初めまでは続いたことがわかった。芳町の職人たちも花柳界において大切な役割を担い、共栄関係を保っていた。
しかし、明治期の近代化により隅田川は汚染され、戦後は高度経済成長期に高速道路や高層ビルの建設、防潮堤設置等が進み、景観が損なわれた。それが主要因となり、芳町花街は衰退した。芳町の今後を考える上では、以上のような歴史を再認識し、河川をはじめとする景観の再生にむけて力を注いでいくべきであると提案した。