本稿は1970年代前半期の全日空における路線経営と航空運賃について考察したものである。航空事業は電気やガス等と同様に公益事業の一つに位置づけられ、そこでは運賃について許認可制が採られていたため、航空事業に対する規制の主要手段の一つであった。1970年代前半期は着陸料ほか航空機燃料税など公租公課と呼ばれる運航費用の負担増加および、第1次オイルショックを原因とする燃料価格の高騰、国内線航空では主要空港であった羽田空港・伊丹空港航空における騒音公害対策として展開された機材の大型化など、航空事業の経営環境が大きく変化した時期であった。こうしたなかで、全日空は運賃改正において自社路線の航空運賃をどの様に設定したかを、路線経営の問題視角から考察したものである。