イラク内戦の中から出現した「イスラーム国」は他宗派・宗教の信徒への殺戮を繰り広げているが、この激しい宗派対立などの中東の混乱は、イスラームという要因だけに還元できない。むしろ長期的・地域横断的に比較すると、第一次大戦期のヨーロッパから中東に至る広域的なモザイク地域で起きた国境線画定に伴う<差異の政治化>という現象がある。本稿はイスラーム国の事例を第一次大戦以降のそのような構造変動の延長線上に位置づけ、必ずしもイスラームという要因では説明しきれないことを例証する。それと共にイラクの宗派対立の激化の背景にあるアメリカ合衆国の「民主化」の蹉跌に注目し、同様の事例を第一次大戦後の中東・南アジア・東中欧に見出しながら、異文化地域に自国の論理を押し付けるアメリカのこのような行動の背後にある長期的な論理を19世紀のトクヴィルの「アメリカの民主主義」の議論に立ち返って考察する。