原稿用紙290枚相当。前篇に掲載しきれなかった史料紹介の途中から掲載して完結させた上で、予備的考察(一)で優先的審議事項を総括し、特に諸閣議におけるベルナドット和平提案をめぐる論議を時系列的に分析し、予備的考察(二)でベルナドット提案に対する暫定政府回答とそれに対するベルナドットの回答を分析し、両者の認識の相違の本質に迫る。その結果浮き彫りになるのは、国連パレスチナ分割決議に立脚しつつ国境線修正を外交交渉によって追求しようとする穏健派と、同決議を「死んだ」ものと見なし軍事力によるなし崩しの領土拡張をめざした行動派のアプローチの相違であり、この国防と外交の乖離が後のパレスチナ問題とアラブ・イスラエル紛争の帰趨に重大な影響を与える事になる。その一方で領土については穏健派の中にも強硬な主張が見られ、両派の区別は不分明な面もあった。結論では、ベルナドット和平提案を挫折させた原因である暫定政府とベルナドット・国連・英米の「主権」理解の相違、及び閣議議事録から克明にたどれる暫定政府における「主権」概念の変容を、19世紀イギリス政治思想からポスト・コロニアルな第二次大戦後までを見渡す世界史的文脈の中に位置づける。