全182頁。本論文は1948年7月14日~28日、すなわち第一次停戦後の「十日間」の戦闘期間(7月8日~18日)を経て第二次停戦(7月18日午後7時から無期限に設定)に入って更に10日間が経過した頃までのイスラエル閣議議事録(ヘブライ語)を、第二次停戦開始・エルサレムの非武装化・難民帰還の三点を焦点として分析しているが、7月14日閣議③と18日閣議⑤に大きな検閲削除部分があり、これら二箇所(特に14日③)は時期的にリッダとラムレの制圧に伴うアラブの追放関連である事が推測される。第一の論点「6月16日閣議の難民の帰還阻止の合意が7月末までにいかに公式の政策に昇格したか」については5回の閣議内容をそれ以前の閣議との関連で詳細に跡づけ、モーリスの論争的な先行研究が該当箇所に関する限り正確である事を述べ、更に難民帰還阻止決定の背景には外相が戦間期のトルコ・ギリシア戦争を終結させた1923年のローザンヌ条約と直近のチェコスロヴァキアによるズデーテン・ドイツ人の追放をモデルとした事が関わっていると論じた。又この時期に穏健派の領袖であった外相シェルトクがタカ派的な態度を取り得たのは、閣内穏健派が安定多数を占めていたため、自らとの亀裂が深まっていた行動派であるベングリオンとの摩擦を防ぐ方に重きをおこうとしたからだと分析し、更に当時の閣議においてはエルサレム問題が難民帰還問題を凌ぐ重要性を持っていた事を指摘した。イスラエル内閣における難民問題の比重の相対的軽さは、今日のガザ危機を考える上でも強い示唆を与えるものである。