首都圏およびサハリンの朝鮮語変種が20世紀初頭から現在までどのように変容しているのか、その変化の過程と結果および諸要因を解明することを目指した研究の中間報告として、首都圏およびサハリンの朝鮮語における音節核のヴァリエーションの事例を取り上げ、対照的に考察した。その結果、在日コリアン二世およびサハリンの高齢層において、移民の多数派を占めた慶尚道方言の変異形が優勢であったことから、どちらの朝鮮語変種においても「平準化」が起きていた点、また、初期の移民の多数派の方言
が、在日コリアンおよびサハリンの朝鮮語変種の基盤をなしていたことから「創始者効果」が示された点などに共通点が見られた。また、在日コリアンの「フィーチャープール」でもサハリンの朝鮮語話者の「フィーチャープール」でも、親の出身地の変異形のみならず、他地域出身者の変異形も受容するという「方言混合」が起きていたことが示された。在日コリアンにおいてもサハリンの朝鮮語話者においても、「傍層言語要素」として韓国ドラマや訪韓などによる現代韓国語の影響が見られた。これらの点は、在日コリアンと在樺コリアンの音節核のヴァリエーションに関する共通する特徴だとみなせる。在日コリアン二世のみに見られた特徴としては、彼らの優勢言語である日本語の発音の影響が挙げられる。「傍層言語要素」としての北朝鮮の変異形は、当時、南部と北部地域で同じ変異形が分布していた場合(「嫁」)に限り見られたものの、それ以外には今回のデータからは観察されなかった。サハリンの朝鮮語話者のみに見られた特徴としては、ソ連系朝鮮人の父親を持つ話者で北朝鮮の発音である語頭の[ɾ]音が見られたこと、どのインプット方言にも存在しない「中間的な方言形」が生まれていたこと、四世にも文化借用として方言形[jaŋ-nim]が用いられていたこと、樺太時代に朝鮮語の中で使われていた日本語の単語4が四世にも残っていること、などが挙げられる。