本論では、1956年に設立された東映動画の事業について、いかなる映画史的文脈のもとに企業体制の確立を試み、また、当時の映画界の中でいかなる方向性の模索を強いられたのかを検討した。その問題に関して注目したのが、東映動画と「教育映画」との関わりである。国産アニメーションは、戦前から教育映画と強い結びつきを持ってきたが、その関係が東映動画の事業にいかに影響を与えてきたかを包括的に考察した先行研究は少ない。
また、東映動画の設立の経緯には国産アニメーションの海外輸出の計画が存在したが、それも以上の教育映画との関わりにも通じる側面があった。その国際化路線は停滞を余儀なくされる。しかし、そのアニメーション事業の進展は、テレビ放送という新たな映像媒体によって代替的な場を与えられた。東映動画というきわめて「戦後的」な企業にとって、「教育映画」という存在は、つねにキメラのように多義的な影響を与え続けたのである。