本論では、占領期の漫画映画が終戦直後から始まった「映画教室運動」という映画館を利用した児童への教育的な映画上映の動きと密接に関わっていたことを、当時の雑誌や視聴覚教育関係の文献を参照しながら、検討した。そのうえで、さらに、いわゆる「ナトコ映画」をはじめとする、40年代後半から総司令部民間情報教育局(CIE)の肝入りによって勃興した小型映写機による巡回映画上映活動とも関わりながら、この時期の漫画映画が、主に視聴覚教育や戦後民主主義普及を目的とした社会運動の側面で児童を中心に鑑賞されていたのではないかということを概略的に示した。