本論では戦中期の映画国策をめぐる論者の言説を検討した。結果として、それは一面で、ユダヤ批判に典型的な観念的で抽象的な拡張主義的論理を放恣に行使している(ように見える)一方、他面において、国内における映画政策について実に堅実かつ具体的な視点を持ち、さらに、それは(ユダヤ批判にも通じる)映画会社側の営利的な横暴(私益拡充)を憂慮し、製作から上映環境にわたる国内映画界の健全性を保とうとする志向を持っていたことが明らかとなった。また、上述の国内映画界の一連の動向が、一方で、映画国策の形成期・発展期と正確に重なり合っていたことも興味深い。