本稿では「台湾喫茶店」に関する情報を整理した。女性による給仕は「台湾喫茶店」以前から牛鍋屋でもビアホールでも行われていたにも関わらず、初めて女給をおいたとされている店は1905(明治38)年12月に銀座にオープンした「台湾喫茶店」であるというのが定説であり、当時の史料にもそのように記されている。「台湾喫茶店」の現場を切り盛りしていたおかみさんのインタビュー記事や永井荷風の日記によると「台湾喫茶店」のおかみさんが1904年の米国セントルイス万国博覧会で洋行した元新橋芸者であったことがわかる。元新橋芸者である彼女がセントルイス万国博覧会において世界各国の人々を接客したのちに、「台湾喫茶店」の現場を指揮したことは、接客における日本近世文化と西洋文化の最初の出会いであったと捉えることができるだろう。