本稿の目的は、森崎和江『慶州は母の呼び声』をテキストとして、植民地朝鮮を理解することである。森崎和江は『慶州は母の呼び声』の執筆を通じて、彼女の創作活動の核となる「植民二世」という自称を得た。森崎和江において「植民二世」とは、「連帯」と「侵略」を同時に生きた者として位置づけられる。表裏一体の「連帯」と「侵略」を分析するため、本稿では酒井直樹の帝国的国民主義という概念を用いた。一方、『慶州は母の呼び声』は「異質さの発見と承認」の物語でもある。朝鮮を実体化せず、出会ったままの姿で伝えようとする森崎和江の筆致は、特殊主義に回収されることなく朝鮮と対話する通路が、植民地朝鮮にかろうじて存在していたことを示す。