日本でも、高度経済成長を迎えるまでは多くの出稼ぎ労働者が海外へ渡っていたが、19世紀末にはフィリピンにも多くの日本人が渡った。しかしアジア太平洋戦争が勃発したことで、彼らの住んでいた町も戦場となり、かつてここに「日本人移民が存在したという痕跡」の多くは戦禍により焼失してしまった。このような、現在の「戦前の日本人移民の不在」という状況において、ここでは、その「不在の痕跡」を辿り、かつて、そこには確かに日本人が存在していたという事実を明らかにするとともに、同じような日本人移民の痕跡である、韓国での「敵産家屋」と呼ばれる日本家屋の保存事業や台湾の日本家屋文化財の保存運動とフィリピンでの保存活動を比較することで、フィリピンの日本人移民の歴史保存の意味と可能性について考える。