日本の中世という時代に成立した『頬焼阿弥陀縁起』は「身代り阿弥陀」の説話を伝える。時を同じくして臨済禅の僧である無住道暁一圓が編纂した仏教説話集『沙石集』にも「身代り阿弥陀」の説話が認められることは興味深い。本来、火印の身代りを請け負うのは地蔵菩薩であり、阿弥陀仏が身代りとなる『頬焼阿弥陀縁起』や『沙石集』の説話は特異である。特に『沙石集』では火印の道具として「銭」が用いられており、編者である無住の思想的背景と結びつく。また、『沙石集』では伝本によって「身代り阿弥陀」の説話の細部が異なり、後の伝本ほど、近世の名所記や名所図会等に通じるような開帳を前提とした表現が付加されている。「身代り阿弥陀」の説話は各テクストの宗教的な志向を含み、後世における『沙石集』の享受とも深く関連している。