ことばで遊ぶ、ことばで信仰する、ことばで生きるといった観点から古典の世界のことばに注目して見た。それぞれの文化的な営みのなかで、ことばが有している力は現代人が考える以上に絶大で、法律などが整備されていなかった時代においては、ことばがそれにかわるような側面も持ち得ていたことを想起させるものであった。また、古典の世界の人々も現代人と同じようにことばで遊んでいた。と言っても単なる言語遊戯だけではなく、当時の人々は遊びつつも、ことばと真剣に向き合い、ときには宗教性を帯びながらがらことばによって生きていたのである。とりわけ、中世日本文学に目を向けると、現代にも増して、ことばによってその世界が構築され、ことばは社会を形成していくほどの力を持った、大きな存在であった。